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南三陸のみなさんが、悩みながらも芯のあるこころで前を向き、
生きておられる姿を感じました。
辛島美登里(シンガーソングライター)

『千古里の空とマドレーヌ』に寄せて

                                        山内明美(歴史社会学者)

 

 

被災の記憶とマドレーヌ

 

 寒くて不安な日々がつづいた避難所で、みんなを笑顔にした涼太さんのお菓子。

 命からがら津波から逃げたあとで、日々の食事も満足ではなかった時期、被災された人びとにとって、涼太さんのお菓子はとびきり美味しかったに違いない。

  「最初は、マドレーヌへの想いしかつぶやけなかったんだよね。」

  涼太さんのまわりには続々とボランティアが訪れ、マドレーヌ作りが再開された。

 しかしやがて、涼太さんは逡巡するようになる。「応えられると思って支援を受けてきたけれど…。」先の見えない仮設暮らしの中で、その責任を果たせるようになるのだろうか。重圧は日を増すごとに大きくなってゆく。涼太さんは「自分の実力」という言葉をくり返すようになる。

 誰もがそうであるように、涼太さんはひとりのパティシエであり、夫であり、父親でもある。その役割のひとつひとつに重たい責任があり、地域社会のなかでの営みが成立している。ボランティアとの関わりで見えてきたことは、「被災」という事実以上に、自分のほんとうの姿と、生きていくことの責任の重さだった。

  一方、木下健一さんは、震災直後から生協職員として岩手県に常駐しながら被災地の支援活動を続けていた。しかし、そればかりではなく、週末には、片道2時間かけて宮城県南三陸町の涼太さんの仕事場にも支援に出かけていた。震災で見えてきた日本社会が抱えている課題に仕事として取り組みながら、「個人として何とかしたい」という気持ちで南三陸へ通いつづけていた。

 木下さんは木下さんで、「結局、何にもできない」と何度もつぶやいている。被災当事者、支援当事者の心の声が、それぞれに反響する瞬間だ。

 こうした、被災者、支援者のお互いが、悲喜こもごもの日々を積み重ねた先に、人びとにとっての立ちあがりの一歩があり、人と人が無限につながりあいながら、困難を乗りこえ生き抜こうとする、大切な事実が描かれてある。

 

人間の営みのつながり―支え合いと伝え合うことの難しさ

 

 ボランティアは、当事者の意志を実現する仲間だ。しかし、当事者の意志を越えることはできない。だが、双方の行き逢う場所で、たぶん、あたらしい何かが生まれる。

 〈支える側〉、〈支えられる側〉双方の葛藤が響いている。いや、支える側や支えられる側という視点もじつにあやしいもので、支えるつもりで、自分が支えられていたという立場の転換は、しばしばおきる。

 おもえば被災地とは、あらゆる日常性が強烈に「露呈」する場でもある。

 不意に厄災に見舞われたあとの、犠牲への痛みや悲しみのみならず、暮らしを再建する過程での人間性の〈アラ〉は、もはや隠せなくなる。齟齬なく伝え合うことの難しさ。互いに言いたいことが言えないもどかしさ。非常時に味わった恨み辛みが、日常性をとり戻したあとでも尾を引きずる、ということも有り得る。でもちょっと待てよ、これって被災地だけのことでは、きっとない。私とあなたのあいだに、いつも起きていること。

 お菓子は甘さだけじゃない、ほろ苦さが混在することで、濃厚なスウィーツになっていく。物語はそんな風に展開していく。

 

南三陸 二部作のあとで

 

 本作『千古里の空とマドレーヌ』は、我妻和樹監督にとって生涯最大のテーマでありつづけるであろう「愛する誰かを支えること」、「誰かと共に生きること」が執拗低音になっている。

  我妻和樹監督は、東日本大震災後、「南三陸二部作」となるドキュメンタリー映画『波伝谷に生きる人びと』、『願いと揺らぎ』を発表した。いずれも、大津波で壊滅した宮城県南三陸町の戸倉地区波伝谷を舞台に、そこに暮らす人びとが真摯に生きる姿をとらえてきた。

 我妻監督が南三陸のフィールドに入ったのは、東日本大震災よりもずっと以前の2005年のことだ。学生だった彼が、民俗調査のために波伝谷での映像記録を撮りに入ったのがはじまりである。

 大津波が三陸沿岸部を襲った2011年3月11日にも、我妻監督は撮影のために南三陸を訪れていた。監督自身が津波被災者になるとも思わずに。そして、迷いながら震災後3年を経て発表された『波伝谷に生きる人びと』は、衝撃的なドキュメンタリー映画として迎えられた。それは、津波を扱ったドキュメンタリーではないにもかかわらず、「津波とは何か」をとらえてしまったからだ。〈海と生きる〉ことがどんな営みなのかを、震災後に発表された映画で、これほどまでに深く描いた作品はないだろう。

 さらに続編となった『願いと揺らぎ』で、我妻監督は名実ともにドキュメンタリー作家として受け入れられることとなった。手法としては、前作同様、半ば当事者と寝食を共にしながら撮影するエスノロジーだが、波伝谷の地域社会と、そこで生きる人びとの繊細な内面にさらに深く踏みこんでいる。波伝谷は、その名の通り、波が伝わる谷である。この土地で暮らしてきた人びとの積み重ねられた歴史/記憶の継承を前に、津波以後の価値観は否応なくぶつかり合った。地域のなかで生きる人びとが、誰かを思いやる気持ちのなかで逡巡する姿は、この社会のなかで、人間が〈生きる〉とはどんな営みなのかを教えてくれる。南三陸二部作は、そうした意味で、奇跡的な作品の連続である。

  南三陸を舞台とした第三作目の『千古里の空とマドレーヌ』は、前二作とは切り口が大きく異なっており、どちらかといえば人と人の関わり合いにおける課題について問いかける描き方になっている。被災地でカメラをまわす監督自身が逡巡し続けた9年間。本作品は、我妻和樹監督の転機になるだろう。本作品を手がかりに、次はおそらく、本格的に「愛する誰かを支える」「誰かと共に生きる」作品そのものになっていくはずだからだ。

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関係者のコメント

南三陸のみなさんが、悩みながらも芯のあるこころで前を向き、生きておられる姿を感じました。

―辛島美登里(シンガーソングライター)

よくある「美談」だと思ってこの映画を見れば、心底驚くことになるだろう。

震災後の特殊な雰囲気のもと、ボランティアと被災当事者がともに一つの場を共有する。その知られざる実情―とりわけ経済事情が、この上なく精緻に、大胆に描き出されるのだ。情報の密度が高く、本作を観察することはとてもスリリングな体験である。

人間関係の複雑な機微─甘さも苦さも、私たち観客は目の当たりにする。だが、パティシエがこの入り組んだ現実を引き受けて制作するマドレーヌは、なんと滋味深く見えることだろう。

―三浦哲哉(映画評論家)

我妻和樹監督の作品といえば、『波伝谷に生きる人びと』も『願いと揺らぎ』も、土地の古層と繋がるような民俗学的側面を持っていたが、本作は、同じ宮城県南三陸町で撮影された作品ながら、趣が全く異なっている。 迷いながらも多くの人に助けられながら、菓子作りを再開させるパティシエの長嶋涼太さん。同時に、彼を応援している木下健一さんも、支援の在り方に悩みを抱えている。支援を受ける側の葛藤と、支援する側の葛藤。被災地でのボランティアというと、とかく美談として語られがちだが、そこには両者の間に様々な思いがあることが伝わってくる。 東日本大震災以後、毎年のように日本のどこかで災害が起きている現在、長嶋さんの姿も木下さんの姿も、明日の私たちの姿かもしれない。

​―本田孝義(映画監督)

何もない土地に一つ一つ家が建ち、店ができ、街になっていくように、人生も誰かとの関わり合いの積み重ねで拓かれていく。

相手への理解を諦めずちゃんと関わっていく、その美しさと大切さを彼らから教えてもらった。

人との距離が問われる今の時代だからこそ、是非観てほしい。

―小沢まゆ(女優)

涼太さんの姿を見ているうちに、ボランティアとの係わりとは何か、一人前とはなにかを考えされられました。なんども、「そうだよね」「よかったね」と一喜一憂しながら。  

一番ぐっときた言葉は、「あの笑顔と自分の笑顔を同じって思っちゃダメなわけさ」。  

うん、うん。考えつづけよう。悩みつづけよう。

―今村彩子(映画監督)​

我妻和樹には監督デビューした時から、映画が出てくれた人やその周囲の人のためになれているかどうかが最優先で、自分が作り手としてどう評価されるかは二の次なところがあった。たまに会って話を聞いていても頑固に感じるほどだった。

ところが『千古里の空とマドレーヌ』では、その融通のきかない優しさがまんま映画の魅力になっている。えらそうだけど、長嶋さん、木下さんのような「人物」と出会って、我妻さん、大きくなってるなあ……とジンときました。

東日本大震災の被災直後、お菓子なんか作る場合では……と動けなかった人と、背中を押した人達の話。まっすぐでいい映画です。

―若木康輔(構成作家・ライター)

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